このまちと出会って

 国道275号線を北に向けて走っていた時に、はじめてこのまちに出会いました。栄町の信号を直角に右へと曲がり、街が現れるのかと思そのまま田園風景へと変わる。そんな時、左手の山際に一風変わった家並みが続くところ。今から20年近く前のことです。そのときは、まだ当別町という名前は知りませんでした。
 月日が流れ結婚して子どもが生まれた頃、再びこのまちに巡り逢います。共に本州出身の私も妻も自然に憧れて北海道へやってきました。たとえどんなに便利であっも、24時間喧騒に包まれた札幌で子育てをする気にはなりませんでした。真狩村、石狩市、南幌町、長沼町と様々なまちを巡る中、ふとあの家並みを思い出しました。そして、記憶を頼りに国道を走り1枚の黄緑色の看板を見つけた時、私たちのこのまちでの暮らしが始まりました。
 素敵な町に巡り会えました。豊かな自然、地域の共同体、誠実な人々。豊かな自然と言っても、このまちに生まれ育った皆さんには当たり前すぎて、何が良いのか想像しづらいかもしれません。私はここにきて初めて月明かりを知りました。満月の月影、窓からさす柔らかな光。光あふれるでは決して感じることが出来ません。新緑のみずみずしい緑が、日を追うごとに力強く濃さを増す木々。青空と白い雲と黄金の麦秋。ナナカマドの赤い実。色鮮やかな紅葉。そして白銀。四季折々の色彩の変化にも心躍ります。

千万人と雖も吾往かん

 2018年。このまちに移り住んで5年目を迎えます。このまちの事を少しずつ知りながらまだまだ分からないことが数多くあります。そんな1人の移住者が38年の歴史と伝統を持つ一般社団法人当別青年会議所のバトンを受け継ぎます。このまちでの経験もJAYCEEとしての経験もともに浅い私が理事長を務めることの意味を考えました。
 青年会議所は単年度制です。これにより組織は常に若々しく保たれ、果敢な行動力が生み出されます。メンバーの学びの場としての価値も最大化されます。その反面、まちへの貢献という観点からは弊害があることも否めません。継続的な取り組みが得意ではないのです。それでも敢えて単年度制を採る青年会議所。ここに私たちが読み取るべき意義は「単年度制でもできることがある」という消極的なものではなく「単年度制にしかできないことがある」という力強いものでなければいけません。知識も経験もまだ十分とは言えない青年による単年度制という特徴を持つ青年会議所にしかできないこと。それは何か。一言で言えば、全てが一年で完結するということです。何が起ころうとも。青年会議所は理事長所信に基づいて1年間の運動を行います。それは様々な形で人々に影響を与えます。その責任は全て理事長が負うのです。
 では、私たちは何を成すべきなのでしょうか。まちに波紋を起こすのです。衝撃を与えるのです。不協和音をも厭わずに。その核心に、このまちの歴史と伝統に敬意を払い、このまちを愛し、次世代を担うこのまちの子たちの幸福を願う信念があるかぎり何も怖れることはありません。これは私たちにとって茨の道です。他者の言葉に一喜一憂することの無いよう自らの心の中に拠って立つ基盤を築き、このまちの未来に向けた揺るぎない信念を確立し、それを的確に運動へと繋げなければ成しえません。
 だからこそ、私たちは一人ひとりが考えなければいけません。例えば人口減少を始めとするこのまちの問題について。このまちの人々は暮らしづらい町をつくろうとしているのでしょうか。怠けているのでしょうか。決してそんなことはありません。人々は、暮らしのために、家族のために、会社のために、地域のために一所懸命に働いています。仕事の合間を縫って地域の活動に参加しています。誰もが忙しく力いっぱい生きています。では、なんで。
 これは私自身への問いかけでもあります。日々の多忙さに油断していないでしょうか。忙しさに、なすべきことの多さに溺れていないでしょうか。今、力いっぱい走っている、その熱意、体力、気力、時間は一体どこに繋がっているのでしょうか。それを考えてみたことはありますか。今していることは何のために行っているのか。立ち止まって考えたことはありますか。
 「まちづくり」という言葉は時に残酷です。若者に向けられる言葉は、行動、行動、行動。まず動け。やってみろ。挑戦してみろ。能書きを垂れるな。馬鹿の考え休むに似たりと。では、走り続ければ良いのでしょうか。走って走って走って、力の続く限り走って。そして疲れて倒れるまで。「まちづくり」は若者を疲弊させ、まちの未来をじわじわと奪いつつあります。
 まちは人々の生活で形づくられます。仕事で形づくられます。生活の中心に仕事があります。多くの時間を使います。そして残された時間すなわち余暇を、人々は家族のために、仲間のために、地域のために使います。この限られた貴重な時間を何に使うのか。「考えるより行動しろ。」そんな理屈で若者を浪費させてはいけません。「青臭い議論だ、偉そうに。」それこそが若者です。したり顔で歴史と伝統と出来ない理由を述べることに何の価値があるというのでしょうか。
 考えましょう。事実に基づいて考えましょう。今していることは何のためにやっているのかを考えましょう。仕事では出来ないこと、余暇にしか出来ないことを考えましょう。あなたが暮らしたいと考えるこのまちのために何が出来るかを考えましょう。あなたの子たちに引き継ぎたいと考えるこのまちのために何が出来るかを考えましょう。このまちに生まれ、このまちで育つ全ての子たちに私たちは何を引き継ぐことが出来るのか。それは、今を生きる私たちの手に委ねられているのです。

内なる尺度を築け

 「まちづくり」「明るい豊かな社会」「郷土愛」「誇り」「活気」「活力」。巷には言葉が溢れています。あまりにも軽く、あまりにも無造作に。人々が「まちづくり」と言う時、それは何を意味しているのでしょうか。「まち」を「つくる」。「まち」とは何でしょうか。「まち」「マチ」「町」「街」。文字だけでもいろいろな「まち」があります。人々がそれぞれに込める意味はまた千差万別です。行政という意味で「町」というひとがいます。共同体としての「まち」を語る人がいます。行政区画としての「町」。商店街としての「街」。言葉の意味を厳密に考えていなければ、そこからは何も生まれません。
 まずは、言葉を丁寧に厳密に使い自らの頭で自らの言葉で事実に基づいて考える場を設けましょう。考えるとは、自分の頭で、自分の言葉を紡ぎ出す作業です。当別JCは「地域の総合的な発展に寄与すること」を目的とし、青年会議所運動は「明るい豊かな社会」の実現を目指しています。では「総合的な発展」とは何でしょうか。「明るい豊かな社会」とはどのような社会でしょうか。「明るい」とは。「豊か」とは。「社会」とは。
 「修練」「奉仕」「友情」。青年会議所運動を支える三信条です。「修練」とは自らを磨くことです。考える、それは「修練」です。掟を覚えること、心も体も疲れることは修練の本質ではありません。見せかけだけの「まちづくり」活動や、多忙も修練ではありません。自らの頭で、自らの言葉で事実に基づいて考えること。自らの考えを、厳密な言葉で表現すること。他者の考えを尊重し理解し、自らの考えを省みること。その繰り返しこそが紛れもなく「修練」です。
 「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」。これは国連教育科学文化機関(ユネスコ)憲章の一節です。地域社会で、己の信ずるところに向かって運動を展開するJAYCEEにも同様な基盤が必要です。「平和の砦」のように一人ひとりの心の中に築かれるべきは、何者にも何事にも惑わされることなく自らの進むべき道を指し示す内なる尺度です。修練の積み重ねによりJAYCEEが、借り物の言葉ではなく自らの言葉で明快に語れるようになった時、私たちはそれぞれに心のなかに拠って立つ基盤としての内なる尺度を持つことが出来るのです。 

信念をもって波紋を起こせ

 このまちについて語る時、多くの人々が人口減少に触れます。活気が失われたと言います。賑わいがなくなったと言います。では、どうあれば良いのでしょうか。人口が増えれば良いのでしょうか。活気が戻れば良いのでしょうか。賑わいが戻れば良いのでしょうか。旧き良き時代を取り戻せば良いのでしょうか。目指すべきその姿は決して明瞭ではありません。
私はこのまちの過去を知りません。その時代に戻りたいとも思いません。このまちの人々は、今を生きています。これからこのまちで生きていきます。かつての栄華を懐かしむのではなく、未来のために語りましょう。どんなまちで暮らしたいのか。子たち孫たちのために何が出来るのか。それこそが語られなければいけません。あなたの言葉がどう受け止められるかを気にするよりも、このまちの未来をつくる機会と時を逸することを怖れましょう。
たとえ一時は不協和音が生じたとしても、私たちは自らの内なる尺度に照らして正しいと信ずる信念を自らの言葉でこのまちの人々に語りかけなければいけません。その積み重ねによって初めて、人々の心の中に宿る倜儻不羈なる志が呼び覚まされます。そして、人々が自らの信念に従い自分のこととして目を輝かせてこのまちの未来を語り合うまちが生まれます。

若者の新たな連帯

 一般社団法人当別青年会議所の創立35周年記念事業として開催したとうべつ花火大会は、昨年までに3回を数えました。毎年、町内外から数多くの方々がお越しくださり定着の兆しをみせつつあります。
しかし、花火大会は「しあわせを感じることができるまち」を目指した運動の一つの手法に過ぎません。なぜやるのですか。なんのためにやるのですか。このまちの未来を向いていますか。それこそが問われなければなりません。そこに正しい答えはありません。しかし、メンバー一人ひとりが、自らの頭で考え、意見を交わし、他者を尊重してその意見を理解する。その議論の先には必ず一筋の光が見えてくるでしょう。私たちがなすべきことは、集客力や人々の評判のみに左右されることなく、当別JCが信念をもって実現したいと考える価値を見出すことに他なりません。
 内なる尺度をもち、信念にしたがって行動し続けることは容易い道ではありません。その歩みを絶やさないためには、これまでに生み出された萌芽を活かし、信念に裏打ちされた協働と成功体験の積み重ねによる従来の枠組みにとらわれない新たな若者の連帯が必要です。
 とうべつ花火大会の3年間の積み重ねと、中期ビジョンに掲げた4つの指針を踏まえ、真になすべき機会の創出に取り組んでまいります。

JAYCEEの修練こそが会員拡大の原動力

 私たちが目指していることは、一朝一夕に成果が現れるものではありません。誰か1人の力によってなし得るものでもありません。同じ志をもち、自らの考え、自らの信念に基づいて、自らの言葉で語りかける。そんな内なる尺度を持つ若者たちが、1人また1人と増えていくことによってのみ成し得ることです。ここに会員拡大の意義があります。組織は、そのメンバー個々の修練の積み重ねによってのみ魅力をもちます。魅力のない組織に加入する人はいません。会員拡大の原動力は、JAYCEEが自らを磨き、自らの信念を自らの言葉で明快に語れるという修練の成果にほかなりません。
 魅力は伝えなければ誰にも伝わりません。青年会議所運動、2018年度の活動、メンバー個々の内なる尺度と信念、一人ひとりが、これらを自らの中で十分に消化し自らの言葉に置き換えた上で発信しましょう。それが、何のために誰に伝えたいのか明確な方針の下で組織としての一貫性をもっている時、その呼びかけには自から力が宿り、このまちの未来をともに築く仲間と一人でも多く出会うことが出来るでしょう。

未来のための一年

2018年度は、今一度私たちの足元を見つめ直し未来のための武器を手に入れる一年間です。派手なことをしようとは考えていません。まもなく開基150年を迎える当別町で、37回積み重ねられた青年会議所運動の上に、38回目の何かを積み重ねる。翌年には、また39回目の積み重ねがある。バトンリレーの一走者としてこれまで数多の先輩諸兄の手によってなされてきたことと同じく、今のために何かをなすのではなく、未来のために子たちのために自らが信ずる一石を投じる。その波紋がこのまちで響き合い、さざ波がうまれ大きなうねりへと至ったとき、社会の有様は大きく変わります。
私たちは青年会議所運動を通じて、内なる尺度をもち信念に従いこのまちの未来のために、子たちのために、自らが成すべき事を成す倜儻不羈なる人々が絶えることなく生まれ出でる揺籃のを次世代に引き継いで参ります。



スローガン
倜儻不羈〜己を律し己から自由であれ〜

※ 倜儻不羈…信念と独立心に富み、才気があって常軌では律しがたいこと
倜(てき)  … すぐれていて、拘束されないこと
儻(とう)  … 志が大きくてぬきんでていること。
羈(き)   … 馬を制する手綱。
不羈(ふき) … 拘束されないこと。


基本方針
・自らを律する内なる尺度の涵養
・このまちの未来を想う信念の醸成
・若者の新たな連帯を生み出す機会の創出
・魅力あふれるJAYCEEによるこのまちの未来を担う人材の発掘